ボロ物件よ永遠なれ

東京都の郊外

きょうは終点の駅から歩いて20分ほどの “現地” で待ち合わせだ。

「あれかな……?」

画像で見たときは特になにも思わなかった朱色のトタン屋根が

そこだけ抽象画のキャンバスのように浮き上がっている。

リアルな肉眼に飛び込んでくるトタン屋根の朱色は

近づくにつれて冬の日の光を乱反射しながら

理不尽なくらい、煮え立つマグマを連想させていった。

しばらく歩いて、片側一車線の道路から軽自動車がやっと通れるくらいの

路地に入っていくと

遠くには周囲の景色となじまないスーツ姿の人影が佇んでいた。

「あの人かな?」

ほかに人の気配はない。

ここらにはどういうわけか古いアパートが乱立している。

歩きながらなにげなく右手を見上げると

二階へあがる鉄製の外階段の壁面に『ハイツ リバーサイド』と、

いかにも昭和のデザインといったようなロゴが誇らしげに取りつけてあった――。

ほかにも、

『コーポ石井』、『サイトーBldg』、『ドーミーハウス・Miyamoto』

などがあり、時のうつろいを感じさせた。

ここらへんは、わりとありがちなネーミングであるけれど

『ぱるむどーるマンシオン』や

『シャトー・ド・シャンボール』は如何なものかと思うほど、

そのゴージャスな名称からは想像できないほどのボロアパートっぷりである。

もともと軽量鉄骨や木造の安普請なのだから

無理しなくていいようなものだが、陋屋であればあるほど

虚栄的としか理解されない豪華絢爛なネーミングが施してあった。

――まことに噴飯ものである。

まあ、当時はどんな名前をつけようとも

建築費や税金その他の諸経費に影響がでるわけではないからといった

オーナーたちの思惑があったのだろうが、それにしても

――じつに無念に思えた。

いずれの建物にも人々の暮らしぶりが見えてこない。

周囲のアパート群のなかでも

ひときわ古そうな『秋山荘』が、これぞ “ アパート ” といった精彩を放つ。

木造でドリフのコントに出てくるような二階建てだ。

ほかのアパートとはちがい、建物を囲んでいる敷地が広く

路地からは充分すぎるほど距離をおいて建っている。

一階の外側にはおとな三人が川の字になって

寝転んでも余裕のありそうな幅広の格子縁台もあって

路地との間はちょっとした庭となっている。

しかし、いまは四部屋分のその庭は雑草が生い茂っており

人も住んでなければ、まったく管理もなされていないことを物語っていた。

廃墟というほど荒れてはいないのだが

この町の一角には

すくなくとも生活感というものはなかった。

人が住まなくなって何年もたっているかのようである。

内見をする朱色の屋根の一戸建てに近づいて行くと

そわそわした感じのスーツ姿と目が合った。

「あ、どうも・・・あの、フクシン住販の安井です」

むこうから笑顔で話しかけてきた。

「岸田様でございましょうか?」

「はい、すみません・・・お待たせしてしまって、岸田です。

お世話になります」

「いえいえ、わたくしも今きたばかりですし、

お約束の時間にもまだなっておりませんから、

ぜんぜん問題はありませんよ。ははは」

安井と名乗るその男は、いささか鯱張ったところがあるが

第一印象としては悪くなかった。

というよりも、むしろ、模範的な好青年の範疇に入るといえるのではないか。

「駅からは、すぐおわかりになりましたか?」

「ええ、なんとか迷わずにこられましたが・・・」

わたしは率直な感想を言ってみた。

「それにしても、しずかすぎるというか、なんだかゴーストタウンみたいな所ですね」

「そうなんですよ、いまこのあたりは、空室が多いですね・・・

T大学のキャンパスが移転したのと、

H電気の工場の閉鎖で賃貸需要がガクンときちゃいまして」

そう言いながら安井は手を胸の位置から地面にむかって下げるジェスチャーをした。



カバンから物件の鍵を取り出しつつ、

「それとですね、メールでもお伝えしたとおりなんですが、

この道幅が4mないので、いまのところ再建築はできませんので、ええ」

「やっぱり安いのには理由があるんですね」

「そうなんです、わたしも名前が安井ですから安い理由は正直にご説明します」

冗談のつもりなのだろうが、言いなれた風ではなかった。

安井が鍵を開けたにもかかわらずドアはびくともしない。

――ゴワッ、グワシッ、ゾリゾリゾリ

ドアノブを両手で握って勢いよくひっぱると徐々に開きだした。

「うわわ、ちょっと、建物が傾いてるのかな・・・」

「……もしかしたら、そうですね、

でも去年きたときはこんなことなかったんですけど」

ドアが完全に開かれると、中からはカビとドブの臭いが漂ってきた。

わたしは黙っていた。

安井も黙ったまま自分のカバンからスリッパを二足取りだす。




安井は先にあがって玄関からキッチンにつながる短い廊下にあるブレーカーを入れた。

排水溝にあるトラップの封水が切れていたためであろうか、

廊下の照明をつけると床には黒い砂利をまいたように

無数のチョウバエの死骸が散らばっていた・・・。

一応、安井が持参したスリッパに履きかえて中にはいると

カビとドブの臭気は息ができないほどきつくなる。


安井もそう感じているのか台所の換気扇を “ 強 ” にして窓という窓を全開にした。

「・・・」

「……」

わたしは無言で各部屋を見てまわった。

安井はだれかに急き立てられるようにして

やはり無言で蛇口をひねり、台所とトイレ、風呂場の水を流している。

行ったり来たり、われわれが歩くたびに

床はどこもかしこも跳び箱のロイター板を思わせる揺動をしめしていた。


シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする