鈍感な常連客

「よお、最近どうしたの? たまには店に来なよ。ママにも話しとくからさ」

そう言いながら、たいして親しくもないのに肩を叩いて

誘ってきたが、彼はさらさら行く気になれなかった。

店とはいわゆるカラオケスナックで、

小中氏は学生時代から通いつめているとのことだ。

歌は上手くもなく、自分から進んでマイクを持つこともない。

そんなところから、

カラオケが目当てじゃなくて、ママさんに惚れていたのでは?

と想像させた。

小中氏は59歳なので、学生時代からというと、

だいたい40年前からになる。

ママさんはその当時20代だったらしいので、いまは

まぁ、おおよそ――そのくらいの年齢なのだろう。

いまでこそ当たり前の存在だが、

40年くらい前だと、カラオケを売りにしたスナックは

割と先端的な飲食店だったようだ。

オープン当初はキレイな店だったのかもしれないが、

そのまま店内を改装することもなく40年が経過していた。

小中氏は3日と空けずに店に来るためその店の傷み具合や

時代性に合わなくなっている設備や雰囲気が

わからなくなっているのかもしれない。

まず、いまだにトイレが和式なのには閉口する・・・

しかも臭い。

床のタイルの上に赤黒いマットが敷いてあるのだが、

これが曲者だった。

おそらく何か月も、はたまた何年も洗ってないのだろう・・・

文字通り鼻が曲がるほどのアンモニア臭がするのだ。

トイレは常時換気扇が回っているのだが、

中に入ると目に沁みて、とめどなく涙がこぼれた……

アンモニアは有毒だし可燃性がある。

あの刺激臭の程度だとタバコなんて吸おうものなら引火しかねないのだ。

この点だけは、可及的速やかに改善をしてもらいたい。

「いや、それにしても、あそこはトイレが汚いですよね。あははは」

しつこく誘われる彼は、突っぱねるように言い放つ。

学生時代から通う小中氏には、店は我が家も同然。

はなはだ失礼なもの言いだったが、汚くて臭いのは事実だった。

ちょっと間をおいてから、なおも食い下がる。

「おれもママに言ってるんだけどさ、あの人プライドが高いから

言うこと聞かないんだよ」

『違います。プライドの問題ではなく、あなたの指図を受けたくないんです』

彼は頭の中で言ってやった。

実際、店での小中氏は

「ママ、そうじゃないでしょ」

「ママ、はやく持ってきてよ」

「ママ、これ薄いんじゃない?」

「ママ、その番号じゃないよ」

「ママ、それよくわかんない」

・・・・・・・・・・・・・・・

10分おきくらいの頻度でママさんに駄目だししているのだ。

「ママ――」という発音にも、どことなく

満たされない幼児性が漲っており、若干の異常性も感じられた。



老嬢もさるもの、チラッと目線を向けるものの

「……」と、返事は一切せず

すぐに小中氏の要求には応えない。

もちろん、ほかの客の注文や雑談はないがしろにはしないで

楽しげに談笑して会計も明朗なようだった。

小中氏は自分だけが、何故あしらわれてるのか理解できず

なおさらムキになり、酔いが進むにつれ

あれやこれやと指図はエスカレートしていった。

「この頃ママもさ、耳が遠くなったでしょ?」

さらにそんなことを言ってきたけど、彼がその店に行ったのは

小中氏との1回だけであった。

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