方向音痴の銭湯巡り

七月の猛暑日

きょうはプレミアムフライデーということで会社を四時にあがった。

なにか有効な時間の使い方はないかと考えながらも

まっすぐ、いつも通勤で使う私鉄に乗りこむ。

途中、本を買おうと大型書店のある駅で下車した山本亨は、

はたと、ここからJR線に乗り替えて隣県のF市にある銭湯に行こうと思いついた。

そこは、たしかに銭湯なのだが湯に温泉が使われている。

黄褐色をした金属臭のある泉質で、舐めると塩辛く鉄の味もしっかりあった。

亨はここの湯が忘れられず一年に一回のペースで来ていたのだ。

F市には四十年前まで町工場とその従業員が暮らす長屋がたくさんあった。

銭湯も軒を連ねていたが、ある時期から町工場の廃業が相次ぎ

それにともなう町の再開発が進んだためF市の銭湯は激減した。

亨がF市を初めて訪れたのは五年前、その当時はまだ

えびす湯ともう一軒の銭湯があったのだが、つい半年前に店じまいをしてしまい

いまは、えびす湯がF市で唯一の銭湯となった。

きょうもたどり着けるか亨は不安であった。

スマホの地図で確認するかぎり

えびす湯はJR線のC駅から徒歩で十分ほどの場所にある。

しかし毎回道に迷うのだ。

地図のナビゲーションを使っても

現在位置がどういうわけか

あらぬ方角に向かってしまいうまく機能しない。

だからいつも自分の方向感覚を頼りにして迷いながら

結局は片道だけでも三十分以上は歩くことになる。

C駅の西口を出てロータリーを通り過ぎると

すぐに片側三車線のバイパスがある。

中央には芝を敷きツツジの植え込みを設けた広い中央分離帯があった。

長い横断歩道を渡ると大手宅配業者の配送センターがあり

その向こう側には土手が見える。

配送センターを左に見ながらしばらく歩いて行くと土手の手前に小さく煙突が現れた。

えびす湯である。

そこの周りにはまだ昔ながらの風呂なしアパートが何軒も残っており

亨のようにレジャーとして楽しむ温泉施設というだけでなく

今でも身体を洗う風呂屋として実用的な需要もあった。

配送センターの敷地が途切れると

そこからは駐車場の広いラーメン店、ガソリンスタンド、

なんの作物を栽培してるかは

わからないが、ちょっとした畑・・・

鉄筋コンクリート造りのワンルームマンションが二棟。

まだまだ先には様々な建築物や空き地などがバイパスに沿って続いている。

そのそれぞれの境目には細い路地が土手の方向に延びていた。

亨は記憶をたどり、その中から一本の路地を選んで入っていく――。

十メートルほど行ったところで

右に一本の路地が現れる。

亨は、そこを

あやふやに曲がった……。

バイパスから中に入ったこの辺は、再開発が進まずに昔のままの家々が

ひしめきあっていて道幅は狭く軽自動車でさえ入って来られない。

なんのおかずだろう・・・夕飯の支度をする旨そうなニオイがしてくる。

いくぶん腹も減ってきた。

もうそろそろと思ったが、

あてにしていた目印の自動販売機が見つからない。

引き返そうか・・・いや、なんとかなるだろう。

静かだった――。

時おり大型トラックの走行音が遠く微かに聞こえるくらいで

人の姿は見かけなかった。

さっきから細い路地を何度も曲がっているが、

すべて確信があって曲がっているとは限らない。

もうすでに亨はハズレの阿弥陀籤を何度となく引いていたのだ。

――かゆい。

街灯に照らされた腕を見るといくつもの蚊に刺された痕。

ふと、腕時計に目をやると、すでに八時を回っている。

……おかしい。

亨は六時すぎにC駅に着いたのを覚えていた。

そんなに時間がたつはずはないと亨は思った。

時計の故障かと考え

スマホを取り出したが、やはり時刻は八時を過ぎている。

それを証明するかのように

空はどこを捜しても茜色の染みさえなく、完全なる夜そのものだった。

どこからともなく、蚊取り線香のような強いニオイが漂ってきてむせ返ったが

二三回、咳き込むとすぐに気にならなくなった。

ふたたび歩きだすと、また同じような路地が左に現れる

その先を窺うと遥か彼方に車のライトが見えた。

なぜか懐かしい気持ちになった亨は

のども乾いて足も疲れていたのもあり、

動く光たちに向かって迷わず歩き出した。

例のバイパスだろうか、大通りに出るとセブンイレブンがあったので

中に入り缶ビールを買う。

店内のイートインスペースに腰を下ろし、のどを潤す。

たちまち缶は空になる・・・

もう一度、レジで会計をしたついでに

店員に『えびす湯』の場所を尋ねたが、店員は首をふるばかりだ。

受け取ったレシートに印字された店名をスマホで検索すると

そこがC駅からは二駅以上も離れた場所であることがわかった。

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