アイドルの好物とは

明美と早苗はバスに乗ってからも、お互いに終始ふきげんな態度をとりつづけた。

桜も薄みどり色の芽が、ちらほらと梢から顔をだすころ、

平日の昼下がりという生温かさと睡魔が忍びよる車内には、年老いた一人の

乗客が運転手の後ろの席で居眠りをしているだけだった。

そのため、車両後部の席に陣取った彼女たちは何の躊躇もなく

手鏡を取り出すと髪を直し、化粧をはじめ、さらに着替えまでしてしまった。

郊外の団地へと向かうガラガラのバスの中で、いちいちマナーを

意識していたのでは、アイドルなんてつとまらない。

ジョイントライブのある日にはライバルグループの魑魅魍魎たちに

野次られて、あわや大乱闘となるほどの緊迫感があるのだ。

死んで花実が咲くものか

いくら好きでやってるとはいえ、ご苦労なこったな・・・

とマネージャーは思う。

まったく、ギャラだって月に数万円しかもらえないのに。

衣装やレッスンの費用もバカにならんし、

それに、拘束時間がなにより長い・・・

とめどなく、彼女たちは終始ふきげんだった。

三人のしらけた夕食中、

危険な暗示をほのめかす時空の捻じれがあったことを社長は想起する。

――契約がまとまってから間もなく、鈴木社長は明美と早苗を連れて、

都内にある行きつけの高級焼肉店へ向かう運びとなった。

鈴木社長は、我が世の春といった面持ちで上機嫌である。

いちばんの収穫は二十年後の世界へタイムリープをすることで、

社長がふたりに対して持っていた疑念が氷解し、ふたりを本当の自分の娘だと

確信したことであった。

事態が急変するとなると、実業家の頭脳は切り替えが早いもので、

三人で時間を作って、

なんとか親子水入らずはできないものかと計画を立て始めた。

しかし、娘たちは現在を常に最適化するために、

たった二十分だけバスに乗るのにさえ、何度も時間を巻き戻すのはどうかと思った。

タイムリープをしすぎることに、鈴木社長は一抹の不安をおぼえていた。

娘たちを預けるマネージャーと

ひたすら鈴木社長をメンターと仰ぐ従業員も、

高級焼肉店に集結した。

こんな時でさえ娘たちは新曲のデモ音源を聴きながら

振付の練習に余念がないのであった。

そこでマネージャーはこのシチュエーションに相応しくないコスチュームを

アイドルふたりに着させた。

営業魂に火がついたふたりは店内を踊りながら練り歩きだす。

興にのったのか、ほかの客のいるテーブルを回って

頼まれてもいないのに勝手に肉を焼きだした。

社長は自分の会社の従業員にも肉を焼くことを命じ、

ほかの客には、社長みずから

わざわざ新しい紙のエプロンを首からかけてやったりした。

それから店の了解をとって持参したおにぎりを焼いて配ったところ、

ほかの客たちにも好評だった。

昼過ぎに社長は会社の給湯室で、そのにぎり飯を作るのを手伝おうとしたが、

ご飯の炊くのも、握るのも全部従業員ひとりでこなしてしまった。

その絶妙な握り加減には、アイドルのマネージャーも舌を巻いた……

「みなさん、まことに僭越ですが

今宵はわたしのおごりです。パーッとやりましょう」

と、鈴木社長は店中に聞こえるように満足そうな声をあげた。

「まあ、なんて太っ腹なお方、いまどき珍しい粋人ね。

ご馳走になってばかりじゃわ悪いから、お寿司の出前でも……」

いかにも有閑マダムといったふくよかな夫人はスマホを取り出すと出前を頼んだ。

たちどころに、

寿司と焼肉の相乗効果で店内はドンチャン騒ぎとなったが、

そこはさすがに紳士淑女の集まり、頃合いのいいところで

淡きこと水のごとく収束した――

「いやいや、ほんとに、全額わたしが払いますので、

ええ、大丈夫ですから、男に二言はございませんので。わっはっは」

鈴木社長と遠慮した他の客が、会計のことで

お芝居のような押し問答をしているとき、

店の入り口からオカモチを持ったラーメン屋が入ってきた。

そのことで、一同はシンと静まりかえった・・・。



出前持ちは五十がらみの男で、融通が利きそうにない面構えをしていた。

みんなが注目するなか男は

オカモチのふたを素早く開けると、近くのテーブルに丼を無造作に置きだした。

「はい、ワンタンメン三つね・・・二千百円になります」

と言って一同を見回した、金は誰が払うんだという顔をしている。

「どちらさま! ワン・タン・メンなんて頼んだのは・・・」

有閑マダムのその声は、わたしじゃありませんからと訴えていた。

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