子どもの頃の無駄な時間

子どもの頃、親だとか先生に「勉強しなさい」と言われてたけど、

ぼくは、いったい何をやったらよいかわからなかった。

勉強というと机に向かって、何やら文字を書き込んでる風景を思い浮かべるけど、

実際に何をやっているのかは、わからなかった。

だいたい具体的に、

どういう作業をやるべきかを学校では教えてくれなかったような気がする。

大人たちは口を酸っぱくして、「これとこれをを憶えるように」とか言ってたけど、

暗記にしても、どういう作業をすればよいかは、何も指示はなかった。

だから自己流で、ただ漫然と念仏のように、ブツブツと独り言を100回繰り返すとか、

写経みたくノートに何回も書いて憶えるとかやってたけど、

どれも苦痛なだけで長続きしなかった。

テキストを何回も読むというのも、効率が悪いという話だ。

やはり問題集を何回もやって思い出すという訓練が、記憶に定着するようです。

夕暮れが、この町をつつみはじめる時刻――

かなたに見下ろせる高速道路には、ヘッドライトを点灯させた車たちが、

どこかへと帰るのか、それともこれから、どこかへ出発するのか

ひっきりなしに走っている。

ここは丘の上の一戸建て住宅・・・

ぼくは、自分の部屋で勉強をしていた。

ひたすら教科書をノートに書き写すという、気の遠くなるような作業。

一時間くらい続けていると、作業がのってきて無我の境地になり高揚感もあった。

いわゆる『ゾーンに入る』という状態だろうか?

部屋の明かりはつけずに、机の電気スタンドだけをたよりに鉛筆を走らせていた。

「先生が大学受験のときには、ボールペンを一日一本使いきっていたぞ」と担任の教師が

話していたが、それだけ書いて憶えたということだろうが、これはつらい。

やっている充実感みたいなものは感じるが、何かを記憶している実感はつかみづらいし、

実際に何も憶えていないことが多い。これでは、勉強の効率が悪すぎる。

ただただ、疲労が蓄積していくばかり。

でも小中学生のころは、なにも思いつかずにこういった作業を

むなしく繰り返していた記憶しかない。

そのとき何を勉強したのか、内容よりも成績が伸びないイライラや

友達のことやプラモデルのことなんかが、頭に浮かんでは消えて行った……。

文字を書くことが自動運転モードになって、あとは夢想が始まるのだ。

毎日毎日、努力と我慢の連続だった。

あのとき、もっとまともな学習法を知っていたら、効率よく成績があがっていったのに、

時間と労力をついやして、ぼくはいったい何をやっていたんだろうか。

いまは、ネットでいろいろな学習法に触れることができるけど、

当時はなにもなかった。まわりに参考になる友達もいなかったし。

無駄な時間をすごしたんだと思う、人生はつらく苦しいものだと身に沁みた。

いまは良い時代になったなぁ。

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