先日、午後の日差しのなか、ぼくが住んでる
賃貸アパートの契約更新の手続きをするため、
不動産屋さんに行ってまいりました。
前もって更新のお知らせが郵送で届いてたので、
必要書類とハンコを持ってったわけです。
更新のお知らせの最後に手書きで、こうありました。
「当店はコンピューターが詳しくないので電子メールでのお問い合わせ等は御遠慮しております.電話もしくはFAXでお願い致します.電話は外出していることが多いためFAXが良いでしょう.」(原文ママ)
とのことでした。
たしか2年前の契約のときは年配の夫婦らしき
男女ふたりが店を切りもりしてんのかなとは
思ったんだけど。
でも、いまどきメールも使えないほどの老人ではないと
思うんですよね。まだ、ふたりとも60代前半じゃないかな?
2018年の12月の時点でですよ。
店で手続きする前に、なんとはなしに、もっと他に良さげな物件はないですか?
って訊いてみたんですよ、そしたら
ご主人らしき男性が奥からファイルを数冊持ってきて、
ペラペラとめくりながら、
「 これなんかどうよ?」って今の家賃の3倍以上する
ファミリータイプのマンションを勧めてきたり。
あと、築42年って言ってたかな、
1,500万円くらいする中古一戸建ての間取りだとか
リフォームの履歴を詳しく説明しだしたり、
どうも話がかみあわないんですよね。
前もって、一人暮らしだし、
お金はないし結婚の予定もないって伝えてあるのにですよ。
「 あーそうだ。なぁ、あそこ空いてるよな? 」
事務机でなにやら伝票の整理をしている
奥さんぽい女性に声をかけるご主人。
「 あそこぉ? あそこだけじゃわかりゃしないじゃない・・・ねぇ? 」
ぼくのほうを見て奥さん? が同意を求める。
「 ほら、Gタワーの、、あれ 」
いつの間に取り出したのか
ご主人の手にはパイプがあった。
パイプといっても配管じゃなくて
タバコを吸うためのやつね。
吸い口がキュッと曲がって洒落たデザインだったな。。。
「 なに言ってんのよ、だってあれ 5億もするじゃない・・・ねぇ?」
また奥さんは笑顔で、ぼくのほうを見て、
こんどは、ささやかな謝罪をした気がした。
「 南西側の最上階だから 5億円なんだけど、
北側で下のほうの階だったら・・・4,500万とかであるよ 」
べつのファイルをせわしなくめくりながら、つぶやく
「 あぁ、なにしろ、天井が高くて広いよ 」
あるページで急に手をとめる。
のぞき込むと室内の平面図だった。
「 どうだい、こっちが下の階ね・・・間取りもちょっと、、
というか、ぜんぜん違うか・・ 」
図面を見せながら口角泡を飛ばして設備や日当たりのことを
説明する主人だったけど、ぼくは興味がなかった。
来客用のソファにモゾモゾと座りなおしたり、
膝の間で手を組んだり、拍手をするような仕草を
意味もなく繰り返していた。
どのくらいたったろうか、
従順な生徒をまえにした、
いささか熱狂的とも思える講義は終わった。
洗いざらい吐き出し満足げな主人は
両手で拳をつくり、反りかえって伸びをした。
ふいに、わふぅぅぅぅ、と、
ギンナンのような臭いのするため息をつくと、
のんびりした口調だけど、断定的に
「 そうね・・・4,500か、5億だねぇ・・・ 」
そして、こんどはゆっくりと慎重なくらいに
ペラン、、ペラン、、、とファイルをめくりだした。
あるページを開いたところで、
主人はそこに目を落とし、
そのまま身じろぎもせず黙りこんでしまった。
店の前には片側一車線の道路がある。
改造マフラーをつけた車が一台、
店内を震わせるほどの重低音を発しながら、
ゆっくりと近づき、平穏無事に去って行った。
さっきからパイプには火がついていないーー。
主人は、生まれ変わったカラクリ人形ようにパイプのボウル部分を
左の手のひらにひろげたシルクのハンカチでくるみ、
吸い口のほうを右手で握ってクネクネと激しく動かしはじめた。
「 どうです、見に行きませんか?」
「 えっ・・・5億をですか? 」
主人はパイプをくわえて、
ファイルをパタン! と、両手で勢いよく閉じると
ぼくと差しはさんだ来客用のガラステーブルの上で
トントンと書類をそろえるように鳴らした。
「 いや、両方見たかったらいいよ、カギ持ってくだけだから 」
ファイルを持ち陸上部のキャプテンのように立ちあがる。
「 ははは、そんなタワマンなんて買えませんて。金ないっすよ 」
「 またまた~、オニーサンは独身なんだし、大丈夫! 」
来店時の印象と違って
いやに陽気になった主人である。
一気に40歳は若返った感じだ。
「 大丈夫って、いえいえ、ホントに・・・ 」
「 いいって、いいって、見るだけならタダなんだし 」
主人はいったん奥の部屋に入ってガチャガチャと音をさせたかと思うと、
カギとカードを入れた年季の入ったビニールポーチを
持って現れた。
「 それにさ、きょうは天気もいいことだし、歩いてすぐだから 」
外へ出ると主人はマッチをすりパイプに火をつけた。
「 パイプもだけど、マッチなんて今どき珍しいですよね 」
「 でしょ? パイプ用のライターも持ってるんだけどさ、
やっぱね、こっちのほうがカッコイイんだよ 」
オレンジの太陽光線と紫の煙が混ざりあった.oO
「 あそこはセキュリティは万全なんだけど
慣れないうちは、ちょっと面倒かもしんないな 」
「 はぁ、なんだか緊張します 」
Gタワーは駅前ということもありマンションだけでなく、
地下3階までは駐車場、地上1階は大型スーパーマーケット、
2階から5階までは飲食店やオフィスとなっている。
各階を案内され居住者用のエントランスまで来た。
大きなガラスの自動ドアは、目の前に立っても
うんともすんともいわない。
「 あははは、まずね、このカードね 」
ピー――――ッ! エラー音が鳴り響く。
「 あれれ、おっかしぃな……こっちだっけ? 」
薄汚いビニールポーチから
もう一枚のカードを取り出しリーダーにかざすと、
重厚なガラス戸は何事もなかったようになめらかに開いた。
つぎにエレベーターである。
ぼくが呼び出しボタンを押してもなんの反応もない。
「 はは、これなんだよ、またカードをこうやって・・ 」
エレベーターの扉は、おごそかに開いた。
「 変なヤツが入れないように二重三重になってるってわけなんだな。
じゃ、5億の部屋から見てみるか 」と主人。
エレベーターにのっても
行く先階のボタンを押すにはやっぱりカードが必要で、
関係のない階には行けないシステムとなっているのだ。
エレベーターを降りると空が見えた。
「 なかなか開放的でしょ、雨とか風の強い日はたいへんかもしんないけど 」
部屋のドアを開けると生活感のない空気がとびだしてきた・・・。
ホコリがうすく積もった廊下を抜けて、広々とした
リビングダイニングたどり着くと高い天井から床の位置まで
張られたガラス窓に映された絶景。
そこには冷たい夕焼けの空気を背負いこんで、
富士山だけが異様に黒く大きく切り出されている。
「 どう? いいでしょ? 最高でしょ? 」
さっきから主人は微妙に物理的距離が近い。
となりの部屋には、なぜかダブルベッドが置いてあった。