おれは、いまセールスマンをやっている。
なんの変哲もないスーツを着て、商品の資料を入れたアタッシュケースを持ち、
ピカピカに磨いた靴のかかとをすり減らし、おれはきょうもインターホンを鳴らしつづけた。
一日に何十件とまわっても、話を聞いてくれる家はほんの数件しかない。
労力のわりに成果のでない仕事といえた。
これだけインターネットが発達した世の中なのだから、
もっとうまくセールスができるんじゃないかと思うのだが、
おれのあつかっている商品は、ネット上に掲載しても信用されない性質のものなのだ。
復讐代行なるものがネットではみられるが、そのほとんどが詐欺だといわれている。
前金を受け取ったらそれまで、あとは知らん顔なのが手口だ。
依頼者だって、まさか警察に被害なんて出しにくい。
おれの場合は顔見せをする。
おれ本人がまず飛び込みで訪問する。「わたしが嫌がらせをします」と言うわけではないが、
職務は必ず遂行するという姿勢を見ていただくのだ。
ちゃんとした髪型で、ちゃんとした服装など、もちろん言葉遣いも大事だ。
初対面では資料を渡して早々と辞去する。
資料といっても、いかにも反社会的で違法な文言が書かれているものではない。
これが信用されるための第一歩。
そして、後日また訪問して本題に入りだすというのが筋書きなのだ。
「この前、あんたが帰ってから思い出したんだけど、どこかの犬が散歩の途中で
そこの門扉に小便をひっかけていくんだよ」と
かなりご高齢のご主人は、玄関からサンダル履きで出てきてその場所を示してくれた。
「では、その飼い主と犬とどちらか、あるいはその両方に制裁をくわえましょうか?」
「そうしてもらると、スカッとするだろうけど・・・」
「なにか気になる点でも?」
「もし料金をあなたに払わなかった場合なんだけど・・・」
「まあ、そのときは、それなりの代価をいずれ支払うことになると思いますが」
「そうそれが、怖くてね・・・また払ったとしても、
そんな取引をした事実は残るわけだし、そんなものは精神的に落ちつかない」
年配の見込み客は顔をしかめながら、ひとり言のように話してくれた。
おれとしても、相手からの依頼がなければ仕事にかかれない。
きょうのところは引き上げるとしようか、無理強いはいけない、そんなことをして
警察にでも通報されたら、めんどうではないか。
きょうも一件も成約が取れなかったか――でもまあ仕方がない。
あたりには夕闇が迫っていた。
この季節は日が暮れると急に気温が下がってうすら寒くなる。
五月になれば――新年度が落ち着き人間関係がわかってくれば、
新たなる依頼は、うなぎのぼりのはずだ。