天ぷら蕎麦の意図するもの

……昼時は雲ひとつない晴天だったが、日が暮れてからは雨になった。

雨の降るまえは空気のニオイがちがう――

湿度が高いことを鼻で感じはじめてから、まもなく空に低く浮かぶ雲が

街の灯を受けて妖しく光りだすころ。

雲の使者として舞いおりてきた霧が、やがて粒子をそろえた雨となり

本格的に降りはじめた。

前島は時間調整のためにショッピングモールに入ったあと

夕食をとっていないことに気づいた。

まったく空腹を感じていなかったが念のため

吉野家に寄り牛丼の並を食べて、バスに乗る・・・。

雨が降っているためか車内は混んでいた。

どこかに傘を置き忘れて、そのまま歩いてきたといった

ズブ濡れの老人がひとり、車内の青白い照明に映しだされている。

B級のホラー映画に出てくる雑魚キャラのように、

陰惨さを演出しようとして失敗したコミカルなオーラを放っていた。

『ぼくには本当に、一戸建てが必要なんだろうか。

あの不動産屋は投資物件じゃないと言った。だけど確かなものか見る目もないし』

それでも彼は常日ごろから賃貸住宅に住み続けることは、

得策ではないと漫然と考えていた。

永楽不動産に着いたのは、十時四十分ごろであった。

それは築古の四階建てのテナントビルで、

一階にある各店舗は裏の勝手口からも入れるようになっていた。

前島は建物横のうす暗い駐輪スペースを通りぬけて店の裏手に回った。

鉄製のドアにはA4サイズの用紙がマグネットで貼りつけてあったので、

それを軒下のチカチカと切れかかる蛍光灯の下に

持って行って読んだ。

紙には小さな文字がぎっしり印刷してあったが、要約すると、

「ちょっとコンビニまで行ってきます。カギは郵便受けに入れてありますので

中で待っててください」と書いてあった。

『長文でカムフラージュしているつもりだろうけど、

カギのかくし場所を書面で貼りだすのは不用心だな・・・ 』

前島は呆れかえると同時に、そんな人のいい店主を心配しながら

雨に濡れているサビた郵便受けのフタを開けてみた。

おもいのほか軋んだ音が周囲にとよもしたため、一瞬だけ手の動きを止める。

……無造作に突っ込まれている何枚ものチラシの下に、カギは隠れていた。



やっぱり・・・なにかワナがあるんじゃないかと感じて

すぐにドアを開けることはためらった。

前島は五秒ほどカギを見つめてから、

表の通りに引き返し物件案内が何枚も貼りだされている

ショーウインドーから店の中を覗き込んだ。

店内は真っ暗でなにも見えない。

だんだんと雨足は激しさをましてきた。

べつだん、不審な点は見当たらないし

戸外は大雨になり寒かったので、前島は店内に入ることにした。

ドアを開けると、ムッとするほど蕎麦屋のニオイがした。

照明をつけてみると接客用のガラステーブルの上に、

店屋物の天ぷら蕎麦と日本酒のワンカップがふたつずつ置いてある。

ひとつは食べかけで、ワンカップもアルミの蓋が取れら

四分の一ほど飲んだ形跡があった。

『もしかしたら店主は、ぼくと天ぷら蕎麦を食べながら商談をしようと思ったのかな』

前島は、そんな想像をするのだが、それはいささか不自然だった。

丼に触れてみるとまだ温かい。

室温も、つい今しがたまで暖房をつけていたと思わせる暖かさだった。

壁一面を覆う物件情報の張り紙は、

単身者用の賃貸ワンルームマンションの案内が多かった。

しばらく、突っ立って案内を見ていたが、店主はなかなか帰って来ない。

来客用のソファに腰をおろして、目の前にあるふたつの天ぷら蕎麦を眺めた・・・

と、その時、勝手口のドアホンを一回鳴らす音に続いて

ドアをノックする音が三回あった。

『誰だろう、店主だったら自分で入ってくるよな』

ドアホンは今度は二回鳴った。

そしてノックは強めに四回叩かれた・・・

照明をつけているため表からは店内が見えたのだろう

このまま無視するのも不自然では、と思い

前島は恐る恐るドアを開けた。

そこには、レインコートを着た三人の警察官が立っていた。

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