転貸借契約が終了しても生き残る道はある

河上保史(45歳)はいつも午前11時もしくは午後2時ごろに来る。

うちの喫茶店は父から引き継いだ、いかにも昭和の純喫茶である。

ビールなどの酒類はおいていない。

おいてほしいとの要望もあるが、

わたしは酔っ払いが嫌いなのでおかないことにしている。

商売が下手なことを自分でもわかっているのが悔しい。

きょうの河上は10:56に来店した。

片手には週刊ポストを携えている。

これが始まったのは去年の10月5日からだ。

赤い顔をして店に入ってきた河上が

店の入口に貼ってあった求人広告をみながら

「アルバイト募集してるんですね」と言ってきたのだ。

河上はカウンターに座りアイスコーヒーを注文した。

わたしは、若い女の子がいいのだが、なかなか応募がないことなど

いろいろ話していると

「じつはぼく、このまえ会社をクビになったばかりなんですよ、

どうでしょう、こちらで使ってもらえませんかね……あははは」と、切り出された。



一瞬、すぐに断ろうかとも思ったが、たんなる冗談かもしれない――。

それに、ほかの客もいなかったし、好奇心もあったので話を訊くと

河上はマジメな調子で語り出した。

サンキョー製作所というありふれた名前の中小企業で電子部品の設計をしていたが

会社が大手電機メーカーに吸収合併されてしまい、それまでの居場所がなくなったこと。

それで、

“ 今後の活躍 ” という名目で新しい会社の上司たちとの面談が数回あったけど、

結局は退職勧奨というかたちで実質クビになったらしい。

たしか、28歳で結婚して10年前に離婚を経験、そして、そのまま今も独身だという。

子供はいない。

その他、わたしが質問していないことまで

もうあれやこれやと・・・河上は能弁だった。

行きがかり上、そのまま面接になってしまって

かなり込み入った子細な個人情報を把握したわけだが、

やはり中年男を採用するのは御破算にしたい。

学歴も職務経歴も世間一般からみれば申し分ないものだろうが、

だからこそ、考えるまでもないことかもしれないが、

そんな中年男が個人の喫茶店のウェイターになるのは、どうだろうか……。

わたしも河上とかわらない年代。

中年男が二人で切り盛りする小さな喫茶店は

どう考えても様子がおかしい。

へんな噂が立たないともかぎらない。

まあ、噂はともかくとしても、なにより使いづらいだろう。

わたしは、なにげなく雑談に切り替えて冗談ですませようとしたのだが・・・

そんな気配を察したのか河上は、おかしなことを言いだした。

「じつは、ここのビルも土地も、ぼくの名義なんですよ」



はて、ここは山崎さんのビルじゃないのか・・・

「はじめは、山崎さんにうちの親父が貸していたんですが

三年前に亡くなったので、ぼくが相続したんです」

知らなかったのだが、河上→山崎→わたしと転貸しているというのだ。

ビルといっても築50年だし三階建てと小さい。

二階には『(有)YKトレーディング』という会社が入っていたが

一昨年のゴールデンウイーク頃に理由はわからないが退去。

三階の『ネイルサロン・Jubilee』は去年の春に街の中心地に移転している。

それからの入居はない。

「山崎さんなんですけど、まいっちゃってるんですよ。

毎月支払いが遅れているのと、かなり滞納があるんですね」

「はぁ、でも山崎さんにはうちから毎月20日に家賃を払っていますので・・・」

「それはわかっているんですがね。だからといって、それで済むわけではないんですよ。ははは」

――意味がわからなかった。どうしろというのか。

ズチョチョッっとストローを鳴らしてアイスコーヒーを飲み干した河上が

「これ、業務スーパーのアイスコーヒーですよね?」と聞いてくる。

わたしは黙ってしまう。

そう、ズバリそのとおりだったのだが、そうだとは言えずにいた。

ここだけの話、クリームとガムシロップを合わせても原価は20円の計算だ。

「それが、450円・・・」と、

河上はビックリしたように口を曲げてつぶやく。

「端的にいって、退去していただきたいんですよ」

「え? ちょっと待ってくださいよ・・・わたしはちゃんと家賃を払ってるじゃないですか」

「でも、山崎さんは、ぼくにちゃんと払ってないんですね」

「それは・・・」

「つまり、これは債務の不履行なので、ぼくと山崎さんの賃貸借契約は終了するんですよ」

「ええ・・・そうでしょうね」

「そして、それにともなって山崎さんとマスターの転貸借契約も終了するんですね。

これは法律なんです」

「・・・」

河上の言ってることは本当なんだろうが

いままで、この物件の契約書なんてちゃんと読んだことはないので

なんとも言えなかった。

読んだとしても内容が理解できない箇所があるだろうし

やはり、まともに話はできないだろう。

しばらく、沈黙が続いたあと、

河上はグラスを素早くかたむけ、なかにはいっている氷をカリンッと鳴らした。

「ただ、すぐにとは言えませんので、6ヵ月はお待ちします」

「それは、半年以内に出て行けという意味ですか?」

「そうですね」

「・・・困ったな」

「なにがです。街に行ってごらんなさい。 貸店舗なんていくらでもありますよ」

「いや、そりゃ、あるでしょうけど・・・」

「三階にあったネイルサロンと同じように、街なかでやったらいいじゃないですか……

そのほうが、お客だってワンサカ来るでしょうからね。ははは」

河上が来店してから一時間以上たっていたが、他の客は一人も来なかった。

たしかにいつも客は少ないのだが、ここまでくるとおかしい。

時計は12時をとっくに回っているじゃないか。

どうしたんだ……。

なにも言わずに、いったん外に出てみると。

やっぱりだ。

ドアにかけられた『営業中』の札がひっくり返され『準備中』になっていた。

――河上の仕業だろうか?

なかに入ると、カウンターに肘をついた河上が

「なに、もし仮にですよ、もしも、先立つものがないのでしたら

ご相談に応じますがね。あははは」

というのがきっかけで、河上との関係が開始されてしまったのだ。





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