座敷はダメよ足が臭いから

2年くらい前、ずいぶん歩かされた。

ゴールデンウィーク明けに

郊外で催された会社の研修が終わってからの話です。

……上司は先にどんどん歩いてゆき、私はなんとか追いつくかたちで、

「そろそろ終電の時間なので、これで失礼します」と、

いかにも嘘の断り文句を言うことは、怒られそうでできなかった。

上司はそんなことを計算して、

ぶっきらぼうな態度でいるのかもしれなかった。

だからといって、上司の見ていない隙に

消えてしまうほど嫌な飲みの誘いでもなかった。



それで成り行きのまま、上司について歩いていったのです。

私の頭の片隅には、これだけ歩かされたからには、

おいしいものをバンバン食べてやる、という食い意地が張り出しはじめていました。

最近完成したばかりといった高層ビルの自動ドアからまず上司が入りました。

それは大きなガラスのドアだったけど、

なかは真っ暗で、避難誘導灯の光だけが外から寂し気に見えたのをおぼえています。

ビル内にはまだテナントが入ってないような様子で、

照明は点灯していなかったです。

出来立ての、いかにも新築といった

セメントや接着剤、それとカーペットのゴムのニオイが漂っていて……

こんなところに飲食店があるとはとても思えませんでした。

「あ、暗いから足元に気を付けて」

上司はそう言うとカツカツと靴底を鳴らして

人造大理石と思われる通路をひとりで進んでいく。

ところどころにある避難誘導灯の緑色の光をたよりに、

果てしなく続くような通路を上司について歩きました。

途中の階段で地下に降りてから、さらに迷路のような廊下を歩くと

つき当りに赤ちょうちんが・・・。

上司は引き戸を開けて暖簾をくぐる。

昭和の炉端焼き屋といった感じの店内には、

日雇い労務者風としかいえない年配の男性客でいっぱいだったのです。

――このビルにぜんぜん似つかわしくない。

みんなニコニコして、まるで我が家といった塩梅でくつろいでいました。

カウンターもテーブルも満席だったので、

上司と私は奥の小上がりで靴を脱いだのです。

ひそかに怖れていたことだったけど

やっぱり足が臭かったのです・・・

臭いに気づいた私は、すぐにトイレに行ってスプレーしようと

立ち上がりかけたのですが、

「うわっ、ずいぶん足臭いね・・・あははは」

と、だしぬけに上司に言われたので

ギョッとしてまた腰をおろしてしまったのです。

まさかのセリフに絶句しました――

なにを言っていいかわからなくなり、気まずい沈黙がしばらく流れてました。

しかし上司は、自分が今どんなことを言ったかなんて

まったく意識してないかのように『今日のお品書き』に目をやっていたのです。

やがて、ヤツは満面の笑みを浮かべながら

カバンから小さな足用の消臭スプレーを取り出し、

缶コーヒーを差し出すように、音を立てて私の目の前に置きました。

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